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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「懸其所仕之車置諸廟」漢詩文の落款
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる断層画像写真
閉じる右が紫の上、左が女三の宮の模型
閉じる源氏の君と紫の上、右下は今上帝の后
閉じる源氏の君の須磨配流(左)
オススメ度 4.7点
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自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。天皇はなぜ生き残ったか』 本郷和人 | 新潮社。中国二十四孝:王祥 - いこまいけ高岡。DSXKZO8832660020062015MY7001-3。N23021111○熊谷県布達明治8年○本県利根郡湯檜曾村より新潟県魚沼郡清水村迄 清水越の開鑿落成 三国嶺通に比し里程短縮 熊谷県権令梶取素。n21010613○太政官日誌 明治3年庚午第64号12月〇海軍服制定む 絵図10丁全19丁〇陸軍徽章制服 絵図11丁全13丁 和本古書古文書。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 書状 古文書。本将校ノ外閲覧ヲ禁ス・新一般戰術講授録・3冊/寶蔵寺久雄/昭和8年/戦術研究の真剣味著しく高調せし現時に於て参考の価値あるを認め頒つ。1932年 情緒漫画 折本 大島 奥伊豆 南国の五日 田中才二郎 松岡由助 初版本 東京府 検索:風俗 花街 舞妓 温泉街 昭和爛漫 鳥瞰図 地図 花町。富岡鉄斎旧蔵書(蔵書印2顆・自筆箋付)五十嵐篤好『天朝墨談』(全5冊揃)安政6年青藜閣梓 江戸時代和本 書道論。写本/去風流活花/「活花新活」/永埜某述/寛政4年筆写/岐阜高山:宇野氏所持本。詠史百首 大沼枕山 明治期 和歌 短歌 詩学 戦前明治大正古書和書古本 NK。[絵本] 徳川十五代記 明治27年 印刷兼発行者:荒川藤兵エ★ko2.35。蕉風極秘傳 中花堂東川 寳暦四甲戌年 會津藩家老一瀬氏舊藏本。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古文書 書状。明治期 紋様書 鳴海賀太 検索⇒図案 香盒 設計 木版摺 支那 文様 古玉 武器 兵器 軍服 古建築 彫文 小田切春江 浮世絵 絵本 話本 武士 絵図。新薬方鑑 リープライヒ 明治22年 医学 明治期江戸期 検)西洋医学医術蘭学漢方学薬学薬理学出産学薬剤学 戦前明治大正古書和書古本 NK。江戸時代の和本「真田三代実記」全50冊150巻、写本、箱あり傷みあり、真田幸村の軍記物、2篇1‐3巻可読だが大きな染みあり。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。
自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて
諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という若菜・下の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。
たかきましらひにつけても、心亂れ、人に爭ふ思ひの絶えぬも、
やすけなきを、親の窓の内なから、すくし給へるやうなる、心安きことはなし。思ひのほかに、
この宮の、かく、わたり物し給へるこそは、なまくるしかるへけれと、
それにつけては、いとゝ加ふる心さしの程を、御身つからの上なれは、
思し知らすやあらむ。
あなた(紫の上)は、私のお后(准大上天皇の后)の身分といい、ましてそれ以下ならもちろん、
どれほど高い身分の人であっても、みな》・・・・・必ず心穏やかならぬ悩み事が
つきまとうものなのです。
その点では、あなたは並はずれて幸運だったということを、お分りになっておられるだろうか。
でも、あなたは物事の情理をもよくわきまえていらっしゃるようだから、
いくらなんでも分ってくださると思いますが」
と殿(源氏の君)がお申しあげになると、対の上(紫の上)は、
(紫の上)「仰せの・・・・《とおり、ふつつかな私には分に過ぎて幸せな身の上のように、世間の目には見えましょう》
備考1・源氏の君は先天的な優秀性のゆえに帝の寵愛を受けた。
備考2:冷泉天皇は桐壺天皇と藤壺中宮の皇子としているが実際は源氏の君と藤壺の皇子。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
《若菜・下》
例如女御、更衣等高等人,交酬,神,
与人争,不,都是不得安逸的。
即此一端,便得的命比人好,知道?
中意外地来了个三公主,固然不免使感到几分痛苦。惟恐是自己的事,
所以不易看出,亦未可知。”
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。冬姫は内大臣・通誠の養女。正式な名は伊達貞子。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・下の巻)MRI 35―44B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。
手前の後ろ姿で琵琶を弾いているのが明石の君
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。明治12年御届。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。撮影後、展示のために再表装をしております。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。実母は近衛家女房(瑤林院)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。
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